伊達のトリビア その2
応募作品から8作品をトリビアとして認定しました。どうぞご覧下さい。
伊達邦成は開拓使に西洋農具とその技師の派遣を要請し、
明治7年に道内で民間初となる「プラウ」と呼ばれる農具を用いた馬耕での開墾を行いました。
その後、伊達在住の鉄砲鍛冶・江田盛蔵が日本向けプラウを開発、
「伊達の赤プラウ」として全国に広まりました。
日本で初めて「プラウ」が使われたのは、明治初期、官によって設置された農業試験場「七飯官園」(現在の七飯町)と言われていて、
伊達はあくまで官ではなく民間で初めてということです。
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